株式会社メイクリーン 代表上江田のブログです。

メイクリーン社長の上江田です。 私は、仏壇仏具を始め、伝統工芸の保存や補修技術を研究しています。 私の目的は、わが社が開発する技術で、一つでも多くのものを次世代に引き継いでいくことです。
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菅原神社と「堺のえべっさん」

南大阪で「今宮えびす」に次いで
大きなお祭りである堺市の菅原神社内の
「堺のえべっさん」にお参りしました。

前から、菅原神社と「堺のえべっさん」の関係が
分かりませんでしたが
今回、じっくり神社のご由緒を読むことで理解が出来ました。

1664年(寛文四年)、現在の戎島町付近に
突然島が出現。
同66年、この戎島の海中から石像が発見され
これを戎島の近くに、堺戎神社として
宮祠を造りして、お祀りしました。

その後、戎之町の事代主神社と合併し、
1951年(昭和26年)、菅原神社の境内に摂社として遷りました。

菅原神社の境内には堺戎神社とは別に
堺薬祖神社の摂社があります。

堺薬祖神社には前の参拝者が長い間、お祈りされておられました。
身内の方の回復を祈られているご様子でした。

私も、それぞれが有難い神様なので、心を込めて
お詣りさせていただきました。
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本殿前まで行列が並んでいます。                   福笹や熊手を買う人で賑わっています。
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【 2017/01/16 (Mon) 】 未分類 | TB(0) | CM(0)

江戸時代の仏師・渡辺康雲

350年程前(寛文時代:1670年)と伝えられている
ご本尊(阿弥陀立像)を泡洗浄して、キレイに仕上げます。

汚れていたご本尊(阿弥陀立像)
3時間程の短い泡洗浄作業で見事に黄金の輝きに甦りました。
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洗浄前                    泡洗浄中                     洗浄後

泡洗浄後、ご本尊像の足裏のほぞに康雲(左下)の銘と
落款印(右下)があることに見つけました。
★康雲とは江戸時代の仏師・渡辺康雲のことです。
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他の寺院で、今回とほぼ同じ阿弥陀立像が
仏師・渡辺康雲によって銀四百四拾目で
仏像製作されていたことが資料で分かりました。

江戸時代前期の銀五十匁は金一両に相当し約十両になり、
現在の約100万円にあたります。

仏師・渡辺康雲は、京都の岡崎に住み、江戸時代に
活躍した仏師で、数多くの阿弥陀立像を制作しております。

江戸時代、広い地域にわたり、仏像を制作
されていることから、康雲の名前を看板にして
何代かにわたり襲名され、技術が継承されたと思われます。

100万円程で阿弥陀立像を制作していた
という情報は、身近に彼の仕事ぶりが
感じられて、江戸時代にタイムスリップしたようです。


【 2017/01/16 (Mon) 】 未分類 | TB(0) | CM(0)

お抱え仏師

江戸時代前期、仏教は幕府の統制を
受けると同時に庇護をも受けることとなり、
全国の寺院数は著しく増加し、当然本堂に
安置された仏像の数も急増しました。

こうした事情により、寺院の創建・再建には
菩提寺になる寺を求める地元の人々の
積極的な協力があって、江戸時代末期には、
なんと50万寺もありました。

現在まで残っている多くのお寺(7万寺)は
このような状況下で末寺として誕生し、仏像伝来の
流れる証文には本山から下付されたことが示されています。

特に統制力が強い浄土真宗の宗派には
お抱え職人がおり、仏像・仏具・仏画においても
一定の規格において下付されています。

他宗派でも本山から伝来したものが、末寺に残っています。

主なお抱え仏師としては、
真宗本願寺派の渡辺康雲、真宗大谷派の宗重、日蓮宗には林如水
などが、数代が名を継いでいます。

他の宗派のご本尊もそれぞれ決められた様式が作られています。
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本願寺派の阿弥陀様は後背と後光        大谷派の阿弥陀様は後光のみです。
です。
【 2017/01/13 (Fri) 】 未分類 | TB(0) | CM(0)

戦国大名と茶道

堺市博物館の横に、国登録有形文化財 
堺市茶室「伸庵」「黄梅庵」があります。

茶室「伸庵」は風雅な二階建てで、多人数の茶事を
催すことが可能です。
一階には立礼席(約20席)も設けてあり、私は抹茶を頂きました。
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私は茶道をまったく嗜む経験がありませんので、
この機会に戦国大名が競って茶道を嗜んだという
本当の理由を少しでも理解したいと思いました。

多くの戦国大名達は、その価値を本当に
理解できていないままに、ひとつの流行に影響されて
信長や秀吉をはじめ有力大名が持っている
貴重な骨董品と茶道方式に憧れただけではないのでしょうか。

★流行に浮かれた点で貴重な骨董品
ルソン壺(漢字で書くと呂宋壺)を紹介します。

ルソンは現在のフィリピン最大の島で
このルソン島民が日常的に使っていた大きな
ルソン壺(便器にも使用?)はどこでも安く手に入りました。

堺の商人・納屋助左衛門は豊臣秀吉に様々な
贈り物を献上するついでにルソン壺を披露した時、
千利休が『珍重なるルソンの壺』と、大変高く評価
したことから、ルソン壺は高騰し、諸大名は争って買い求めました。
しかし、ルソン壺の本性がばれ、無残にもほとんどが割られてしまいました。

流行に浮かれずに、本物の茶道は今でも、静かに続いています。
【 2016/12/13 (Tue) 】 未分類 | TB(0) | CM(0)

美多弥神社(みたみじんじゃ)

美多彌神社は、明治時代に本殿が新しく建立されました。
拝殿、その他の建物は昭和47年に修改築されました。

昭和30年代頃まで美多彌神社は泉北丘陵の
静かな田舎にありました。

泉北ニュータウンの開発が進み、美多彌神社も
ニュータウンの一角に移転することになりました。

境内の広い鎮守の森にはシリブカガシ(尻深樫)、
アラカシ(粗樫)、サカキ(榊)、クス(樟)などの照葉樹が繁ります。

シリブカガシはドングリの底(お椀状の殻斗を被っていた部分)
が凹んでいることに由来し、美多彌神社の
シリブカガシの樹林は大阪府の
天然記念物に指定されています。

昭和42年(1967年)泉北ニュータウンの
入居が開始し、毎年ニュータウンの人口が
急増するようになり、美多彌神社の参拝者も
増えるようなりました。
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以前、お父さんが四国のご住職されていて、
その息子さんが泉北ニュータウンに別院を
計画されていました。

泉北ニュータウンに神社やお寺を簡単に
建てられませんが、過疎化が進む地方では
人口が多く、神社やお寺が少ないニュータウンは
魅力があると思います。
【 2016/12/13 (Tue) 】 未分類 | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

ueda1944

Author:ueda1944
上江田 政幸(うえだ まさゆき)
㈱メイクリーン代表取締役。
趣味は歴史や寺社参拝、読書。
化学の専門知識を生かし、仏像仏具の洗浄技術で特許を取得。
このブログでは、信仰への思いや技術について発信しています。