寺院に安置された仏像とは違い、
戦国時代に忍ばれた兜仏 又 冑仏は、
合戦の邪魔にならないように小さい携帯用の仏像でした。
関ケ原合戦が終わり、平和な時代になると、幕府はすべての人々を寺請制度に組み入れました。
寺請制度とは、江戸時代にキリスト教を排除する目的で
「すべての人は寺院の檀家となり、寺院から寺請証文を受け取ること」を
強要されました。
戦の兜仏 又は冑仏は携帯用でしたが、
家族安全、病魔撃退、商売繫盛、交通安全らのいい夢ができますように、
それよりは大きい在家仏を村のお堂、玄関や床の間、居間に運気が好くなるように安置して毎日礼拝します。
江戸時代の仏像は仏教の興隆により、戦国時代よりかなり増加し、当社の調査では、
100年以上の古い仏像の70%は江戸時代に造られたと推定できます。
泡洗浄作業昔の残っている金箔を傷めずに、黒い黒煙を除去して、出来だけ金箔を残して作業しました。
特に気を使ったのは、右胸の下方が少し金箔を剥がれていました。
新たに金箔を貼ると継ぎ接ぎになるので、それなりに傷を歴史として、
お客様に了解の上、在家仏の保存修復技術で、周りをきれいに仕上げました。
特殊な泡洗浄作業に成功しました。
作業前 作業後
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